禁色(昭和編)1~5
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高耶でなく、加瀬が記憶を失っていたら……そんな話です。 山口を失ったショックで加瀬は景虎としての記憶を失った。 ただの「加瀬賢三」として生きている男のもとへ、換生した笠原が会いにくる。 直江と美奈子の確執。加瀬の決断。完結編です。 エロくはなく、エグいです。酷いかんじです…表紙は藤城らいな様 昭和編・シリアス・憎悪・執着・高耶へと… 禁色(昭和編) 32ページ コピー本 弐 20ページ コピー本 参 20ページ コピー本 四 20ページ コピー本 伍 40ページ コピー本 5冊セット 一番上の1のみ別のお話で、1冊で完結しています。 弐~伍の続きもので、伍で完結しております。
弐
新橋のガード下、レガーロには数人の歌い手がいるが、中でも一人際立つ歌手がいた。美貌と実力を兼ね備え、店の看板歌手でもある若い女だ。 「今日はマリー出るのか?」 「ああ、バーテンがそう言ってたぞ?」 「よし、来た甲斐があった」 「やっぱりマリーが一番だよな」 「ああ、今に日本で知らない者がいない歌手になるだろうよ」 「そうだな」 隣のテーブルから聞こえる会話を聞きながら、直江はステージに目を向けた。 「……」 そこには碧色のスリップドレスを着た女が、マイクの前に立っていた。 小杉マリー……それが戦国武将、柿崎晴家の今の姿である。 〝彼〟が女である姿を見るのはとうに慣れている。だがこんな風にステージに立ち、しかも歌の才能があるなど、この目で見るまではとても信じられなかった。 実際晴家……マリーの歌声は悪くない、否、素晴らしいと言えるもので。その事実がいまだ、直江を戸惑わせている。 やがて演奏が始まりマリーが歌い出すと、店内は静まり返った。皆うっとりとした顔で、マリーの歌声を聴いている。 そんな中、ただ一人直江だけは違う方向へ視線を向けていた。 「……」 ステージの斜め奥、そこは酒を出すカウンターだ。中では一人のバーテンが酒を作っている。 「……」 強い視線だったのだろう。ふと視線を受けていたバーテンが顔を上げた。 「……」 「……」 視線が絡む。だが、 「……」 先に逸らしてしまったのは直江の方であった。 知らず、歯を噛み締めていた。 バーテンである加瀬は、きょとん、とした顔で直江を見ている。何の含みも無い、無邪気とも言える顔で。 「……」 あんな顔を見ると、彼が〝景虎〟とは違うのだと思い知らされる。 彼は、あんな顔をしない。自分をあんな目でなど、見る筈がなかった。分かっていた筈なのに、間の辺りにすると心が凍っていく。 「……」 少し考えて、直江は腰を上げた。そして酒の入ったグラスを持ったまま、ステージに集中する客の邪魔をしないようカウンターへ向かう。 カウンター越し、目の前に立った瞬間直江は顔に出さず驚いていた。 叫び出す事も殴りかかりもせず、静かな己の心に驚愕する。 「何か作りましょうか?」 「……では、同じものを」
伍
劣化したガス管が原因だ、そう聞いた加瀬は、そんな説明に己が納得していない事実に驚いていた。 ガス事故……何よりもありがちな、頷ける理由である。なのに、強烈な違和感をどうしても拭い去る事が出来なかった。 「……」 破壊された店内の様は、予想以上に加瀬にダメージを与えていた。 「そう落ち込むなよ」 辛うじて形を残したカウンターに座り、項垂れている加瀬の肩を叩く男がいた。 「社長……」 レガーロの社長の執行は、気楽で精神的に強い男だ。皆が落ち込んでいる時こそ、元気付けようと軽口を叩く。 「まあ、運よく全壊は免れたからな。みんなも働きづくめだったし、丁度いい休暇になるさ」 「……」 「おまえも加瀬、美奈子ちゃん、たまにはどっか連れてってやれよ」 「社長?」 驚いて目を見開く加瀬に、執行は肩を竦めた。 「そりゃ知ってるさ」 「……」 加瀬はだが、執行のなんでもないような様子に眉根を寄せる。 「反対、しないんですか?」 「何を」 「だから……オレと美奈子の……」 言い淀む加瀬に破顔すると執行は、男にしては細い肩をバンバン叩いた。 「ははは、何を反対するって? お互いいい大人だ。恋愛は自由だろ? それとも加瀬は、反対して欲しかったのか?」 「いえそうでは……」 複雑そうに、加瀬は俯く。だが更に肩を叩かれ笑ってしまう。 「痛いですよ」 「すまんすまん。まあ、一週間は店は閉めないとだしなあ。まあ、ゆっくり躯を休めろ」 戦争で仲間を失くし、家族も死んでしまった加瀬にとって、レガーロの仲間は家族に似ていた。家長である執行を筆頭に、絆は強く加瀬は恐怖を感じたのだ。 この店が無くなったら……だからきっと、美奈子の事も不安に感じてしまったのだろう。 「はい……美奈子と映画でも観ようかな……」 「いいな、裕次郎の新作、面白いらしいぞ?」 「そうなですか? オレは観たことないんですが……じゃあ、彼女に訊いてみますね」 明るい顔になった加瀬の肩をぽん、と一度だけ叩くと、執行はひらひら手を振りながら出ていった。 パタン―――なんとか壊れなかったドアが閉まると、加瀬はまた一人に戻る。その表情は硬いもので、どこか張り詰めた空気が流れていた。 執行の前では笑顔だったが、無理やり作ったものはすぐに萎んでしまう。 「……」 酷い状態の店内を見回すと、どうしても違和感が肌を刺すのだ。理由など分からない。ただ、なにかが〝違う〟と加瀬を責め立てる。 「景虎」 口にしてみると、なんとも奇妙な心持だ。それから確か…… 「……なおえ?」 女の名前のようだが、呼ばれたのは笠原だ。加瀬に〝友人〟でありたい、と言ってくれた、少し年の離れた学生である。 「はる……いえ?」 それはまるで、時代劇のような名前だと加瀬は思った。しかも呼ばれたのは、そんな時代がかった名とは対極にある華やかな女。 「……」 一体あれは……色部、なる男が突然現れ、明らかに場の空気は張り詰めたのは確かだった。美奈子さえも、まるでいつもの彼女ではないかのような…… 「……」 そんな、見計らったようなタイミングでのガス爆発。 「……」 思考の闇に飲まれそうになる。走った震えは、恐怖故だと、加瀬の本能は知っていた。 「違う」 なにが違うのか、そんなものは知らない、見えない。だから加瀬は、耳を塞ぎ目を閉じるのだ。 「……」 それから、どれくらいの時間が経ったか。 キシ――― 軋む音に、加瀬は弾かれたように顔を上げた。そして振り返るとそこに、愛する女の姿を見止め加瀬は驚く。 「美奈子……」 「どうしたの?」 「美奈子?」 「泣きそうな顔……」 「……」 暗い中でも、優しい苦笑を浮かべているのが分かった。いつもの美奈子だ。 「なんでもないよ」 内心安堵している加瀬の元へやって来た美奈子は、そっと頭を抱き締めてくれる。 「美奈子?」 「……」 大人しく抱き締められながら、加瀬は美奈子の胸に額を押し付けた。無意識に、甘えているのだ。それが分かる女は、加瀬の黒い髪を優しく撫でた。 ガス事故の後の騒ぎで、わけの分からない〝場〟はかき消えてしまった。色んなものが、宙に浮いている状態なのだ。 美奈子は一体、あの時のことを、どう感じているのか……加瀬がうかがい知る事は出来ない。 爆発は派手だったが、幸い火は起きなかった。消防車は適当に破壊された店内をグルっと見回し、ガスが漏れたか劣化だろうと、これもまた適当に判断し引き上げていった。警察も同じような対応で、結局ただの事故として処理された。 近隣の店に被害はなく、レガーロの店内のみの破壊で済んだのは、不幸中の幸いだと執行は笑っていた。 そう、ただの事故なのだ…… **************************************************** あてもなく、砂浜を歩いた。直江には行き場など、どこにもない。生きているのか、死んでいるのかさえ、あやふやなのだから。 「……」 額から汗が流れ落ちる。それなのに、暑さを全く感じられなかった。 「……」 衝撃など受けていない、受けるはずもない。なのに、躯から力が抜けていた。 絡み合う裸体 荒い吐息 汗ばむ細い背中――― 「くッ」 砂に足をとられ膝を着き、その場で蹲る。起き上がろうとする気力もなかった。 何もかも、全てがどうでもいい――― 「……」 指一本、動かすのが億劫だ。まるで時間が止まったかのように、直江は月明りの下、化石になったように浜辺で丸くなっていた。 「……」 砂に額を擦りつけながら、ぐつぐつと、思考が煮える匂いがしてくる。鼻につく、悪臭だ。込み上げる吐き気に、直江は口を押えた。 「ぐ……」 何も食べていない躯からは、胃液しか出てこない。苦しさに生理的な涙を流しながら、直江は吐き続けた。 「ぅ……げぇ……ッ」 えづき呻き、直江は吐いた。このまま臓物まで、全てを吐き尽くすかのように。 「ふ……」 散々吐いた後、不快な口は海で濯いだ。顔も髪も服も靴も、全てがずぶ濡れになったが、そんなものは構わなかった。 夏の夜は蒸し暑く、それでも頭は冷えてこない。否、初めから凍り付いていたのだから、そこに何の意味もなかった。 「……」 嘔吐は体力を奪う。疲れ果てた直江は、そのまま砂浜に転がった。 「は……」 仰向けになり、天を仰ぐ。月は煌々と、異様なくらいに輝いていた。 「……」 目は閉じない。そのままただ、月を見上げた。時間の概念のない直江は、このまま朽ち果ててしまう事を望み願っていた。 「……」 もう、闇戦国も怨将も、使命もどうでもいい。上杉など、滅んでしまったとしても…… それから、どれくらいの時間が経ったのか。 「……」 砂に音は吸収され、それでも気配は匂うものだ。全てを放棄した直江だが、近付く気配に、長年の習性故反応してしまった。 「……」 仰向けのままで、のろのろと首だけで振り返る。そして、そこにあった顔に、直江は驚く事はなかった。 「……」 ただ淡々と、見下ろしてくる男を眺めている。 「……笠原………………?」 見下ろしている男の目は、驚愕に目を見開らかれていた。今己が見ているものが、信じられなかったのだ。 「な、んで」 声の震えが、男の動揺を物語っている。 「な……で……」 確かに、美奈子との旅行の事をこの男に話した。友人として、祝福してくれた事も記憶に新しい。そもそも結婚を勧めたのは、笠原なのだ。 「なん、で……なんでここ、に」 笠原が、ここにいる理由など訊くまでもない。着けてきたのだ、理由はそれ以外に見当たらない。だが、何故なのか、それが加瀬には分からなかった。 「笠原……おまえなんで……」 心配して? 店で〝事故〟があった。何か起こったら……加瀬と美奈子を心配して? 「オレ達を……心配、してくれたのか……?」 そんなはずはない……分かっていても、加瀬は必死で笠原に……否、己に都合の良い答えを探そうとする。だがそんな加瀬を嘲笑うかのように、見上げてくる男はにぃ、と嗤った。 「ッ」 何時も穏やかでそつのない、この男とは思えぬ凶悪な嗤みに、加瀬は無意識にすくみ上る。 本能の部分で感じた危機感に、一歩、後ずさった。 「笠原……答えてくれ……」 その言葉は正しく、懇願であった。 「笠」 だが、 「違う」 「え」 空気までも凍るような声に、加瀬は息を飲む。 「直江」 「な」 聞いた名だ。だが何故今、 「俺は直江だ」 「……なにを……笠……」 「違うと言っているッ」